写真が思いっきりシー15周年ですが、ディズニーとは直接関係のない記事です。
というか、引きずりまくってて本当にすみません。
はっきりいってショック受けすぎなのかもしれないけれど、でも何かふっきれない。
主語がないから一体なんの話なのか分からん!
という声が聞こえてきそうですがすみませぬそこは察してやってくだされ……。
後、なんか読むの駄目そうな内容の予感を覚えた方はぜひUターンをば。
……どうでもいいけど、「なんか読むの駄目そうな内容の予感」て、日本語としてダメな感のある文ですね。もっと頑張れ私。しかし日本語ってどこで勉強すればいいの。(あなた日本人でしょ)
妙に長い前段はこれくらいにして、本題に入りましょうね。
今日、「一生ポリケロ」の最終回を聴きました。
以前の記事でも書きましたが、聴いてもいいのか、聴くべきか聴くまいかちょっと悩んで、
結局聴いたのはアーカイブ配信終了(今回も一週間なんですよね、たぶん……)間際の今日でした。
聴いて良かったと思います。
今回読み上げられたメールやはがきの差し出し主と、変な言い方だけれど感情を分かち合えたなぁ……と。
私はメール・はがきも出していないし、声に出して語ってもいない。
つまり聴いているだけだったんですが、でもこの「一生ポリケロの最終回を聴く」時間中、「聴く」だけでなく「語りあった」気がします。
他のひとの思い出を聴く事で、語り合えた気がする。思い出は決して完全に重なりはしないけれど、でも少しづつ重なっていることがあって。それに対して、そうそう、分かる分かる。と思うことで、語り合えた気がするんです。
と同時に……、なんていうか、お通夜の重要性というものを痛感しました。
あれは生きている人たちのためのものなんだなぁと。
語りあって自分の外に出すのって、きっとすごく大事なんですね。
語れる場があったお陰で、ようやく自分の中で踏ん切りがつけられそうな、そんな感じです。
なので、最終2回をやってくれたスタッフの皆さま、あかほり先生にお礼を言いたいけれど、そして何よりやっぱり水谷さんにお礼を、と思うのだけれどもメールの宛先はまだ機能しているのかどうか……。
実はですね、今はミニーちゃんの声を聴くと、切なくはなるけれど、泣きはしないんです。
でもポリケロのタイトルコールやジングルでは泣きそうだった。
今日のちびまる子ちゃん視聴後にも、ちょっと泣きました。2代目の方の声もお姉ちゃんのイメージにすごく合っていて、良かったと思ったけど、でもやっぱ全然違うんだもの。
水谷さんの演技のあの、「距離が近すぎるがゆえの遠慮や気兼ねのなさからくる一種の毒(イジワル感や小悪魔感)」みたいなのがない……。初回だからなのかなぁ……。
ともかくそんな感じなので。
だから、ミニーちゃんの声を聴いて泣くのは、変わったことを明確に意識した時なんだろうな、と思います。
ディズニーとは直接関係のない記事で、ほんとうにすみません。
でも書いておきたかったので。ですので書いてしまいました。
次回は完璧ディズニー記事ですよー。
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